千鳥ヶ淵の桜 由来と現在(4)

その4 「区の花 さくら再生計画」のはじまりと桜語りの重要性

「区の花 さくら再生計画」

2000(平成12)年頃になると、桜の名所を追っかける花の旅人「花追い人」が増えていきました。その中でも、山にひっそり咲く一本の古木を探して撮影するのが流行っていました。古びた桜が各地で、アマチアカメラマンによって発掘され、注目されるようになっていった時代でした。そのような桜人気のさなかに「染井吉野寿命60年説」が流布されていて、それは染井吉野の寿命が50年ないし60年とする説です。桜の名所を抱える自治体や地域でさくらを愛する人々を不安がらせ、その影響でしょか、日本各地に桜を守ろうとするボランティア「桜守」やNPO桜守が設立されています。

今では多数の樹木医が「染井吉野寿命60年説」に科学的な根拠のないもので、染井吉野の生育のピークは植栽後30~40年で、それを過ぎると老齢化に伴って様々な傷害が生じていくのだといいます。それは人間の寿命と同様に管理次第で変わります。桜は人の世話次第で、その寿命が大きく左右されるわけです。

千鳥ヶ淵は、1979(昭和54)年に緑道が誕生し、2003(平成15)年にその緑道が四季の道としてバリアーフリーに再整備されました。

しかし、周囲の高層ビル化で、太陽を好む桜は、日照不足になりがちで、生育に悪影響をうけています。高層ビルとビルの間から強風が吹き、温暖化等の影響を大きく受けています。既に衰退時期に入っている木々が多く、行政も区民の愛好家も、桜の景観維持には気を抜くわけにはいかない状態です。

そこで行政は2003年に区民と共に、桜の管理に関する「区の花さくら協議会」を結成して、樹木医と共に10か所の桜を調査し、育成管理の対策や将来像など、さくら再生計画の骨組みをつくりました。これが2004年に発足した「区の花さくら 再生計画」です。

当初は5か年計画でしたが、それが現在も継続できるのは、行政と区民一帯の活動だからです。当初から資金面では区が5,000万円を出資し、公益信託に1,000万円を、信託貯金に4,000万円を、公益信託制度を利用して運営しています。行政もボランティア団体も、桜の時期は積極的に寄付を呼びかけ、地元企業も区民も協力して活動資金を集めています。

東京の中でも一流企業の本社ビルがあり、学校や大学も多いので寄付は集まりやすいのですが、植栽された桜が6000本もあると言われており、莫大な費用と人手を要します。都心の人通り多い場所なので、その手入れにも工夫を要します。

桜の手入れをしている様子

桜の手入れ

手入れは冬になって、葉が落ちてからします。この手入れが良いから、綺麗な花が咲くのです。

さくら語り

2016(平成28)年に千代田区役所元職員で、千鳥ヶ淵に桜を植えた人であり、その桜の由来を語り続けた新堀さんが病気で逝ってしまいました。桜の由来伝承者の不在は、今後のさくら再生計画に影響を及ぼすと不安になりました。そこで、生前の新堀氏から何度も由来を聞いていたので、その話をまとめることにしました。

新堀さんから桜の由来を最初に効いたの2007年3月でした。その時の様子をビデオに収めていました。その後、お会いする機会が何回もありました、ビデオ記録が役に立ちました。    

私は桜の由来と景観維持のためには、桜の由来を語り続ける必要を感じています。その由来や区の花さくら再生計画などを伝えるために、千代田区役所の協力を得て、小冊子『千鳥ヶ淵のさくらたち』を発行することにしました。しかし、この冊子に新堀さんの功績を載せることはできませんでした。そこで、その翌年になって『千鳥ヶ淵のさくらたち 其の二』を書いて、新堀さんから伺ったお話を紹介することにしました。

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