靖國神社に植えられたさくらの由来

靖國神社とは 

江戸末期の日本は、西洋諸国から近代化の波が押し寄せてきて、国内は国家建設のために尽力した多くの人々の尊い命が失われました。戊辰戦争が終わった1869(明治2)年6月29日に、国家のために一命を捧げられた人々の御霊を慰めるため招魂社が建設されました。この招魂社が靖國神社の前身です。明治12年(1879)6月4日に社号が「靖國神社」と改められました。

靖國神社のさくら 

靖国神社のさくらは1870(明治3)年、木戸孝允によって植栽されました。元長州藩で、木戸の後輩、中島佐衡(すけひら)の妻中島茂子により、さくらの植栽の由来が語られています。

茂子の談話では、木戸は靖国神社の敷地内に住んでいて、東京近郊の染井村(現山手線駒込駅付近)に別荘がありました。木戸は、染井村で誕生した染井吉野というサクラを、靖国神社に頻繁に運んで植えていて、それを毎年繰り返していくうちに、靖国神社内は「さくらの園」になっていったというのです。

染井吉野というサクラは、江戸末期に奈良県の「吉野のサクラに勝る花」として、染井村(現在の駒込付近)の植木屋によって誕生したといわれています。その原木は現存していないので、その詳細は不明です。

この染井吉野は、山桜にはなかった特徴があって、それは成長が早く、花が一斉に開花する点でした。群生して植えると一斉に咲き、美しい景観が創れました。「明治」という新しい時代に人気の花となっていきました。

◆靖國神の境内に咲く「慰霊の桜」

 今年も靖国神社の境内は、きれいな花を咲かせています。2025年は、第2次世界大戦の終戦80年です。境内に献木された桜は、今でも戦争の傷跡であり、これは生還した兵士の亡き戦友のための「慰霊の桜」です。このような戦争の傷跡ともいえる「慰霊の桜」は境内にまだ多数あります。

写真右は、境内に咲く多数の「慰霊の桜」
撮影2025年4月4日

「慰霊の桜」には、この写真のような「部隊名」が貼られています。
この桜を献げた部隊の仲間たちも、今やこの桜の元に集まることはなく、毎年残された家族によって慰められています。
来年もきっと咲いてくれるでしょう。

写真右 献木桜のプレートに書かれたことば
昭和49年7月吉日
甲第1821部隊
全国戦友大会記念植樹

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