千鳥ヶ淵の桜 由来と現在(3)

その3 千鳥ヶ淵緑道はかつてゴミ山でした

 現在の千鳥ヶ淵緑道は2009(平成21)年に四季の道として再整備されたところです。かつては車道でした。それが1979年に歩道が広い「千鳥ヶ淵緑道」が整備されるようになると、益々花見客が多くなり、テキ屋も現れ、そこに人が押し寄せ、花見客もゴミも年々増えつづけました。もちろんゴミ箱は設置していましたが、多い時で、2トントラック300台で処理しても追いつかなかったそうです。そのような状況下では、桜が咲いてもお酒とゴミの匂いが蔓延して、地元住民は千鳥ヶ淵の花見を次第に避けるようになっていったのです。 

 ごみ焼却所は各自治体にあるものですが、千代田区にはそれがありません。だからこそ、行政も区民も他の地区よりゴミ処理に関して深刻に受け止めています。そこで、それに立ち向かったのが「ちよだ環境ボランティア」の人たちです。 

 「ちよだ環境ボランティア」は、1998年頃から自然保護や環境保全の面で、行政と共にゴミ問題を考え、解決するために区民の有志が清掃活動をはじめました。その3年後2001年になると、その団体を母体として桜の時期に限定した清掃活動をする区民を中心としたボランティアグループ「さくら美守り隊」が結成されました。

「さくら美守り隊」は花見客のお邪魔にならないように、静かにゴミ拾いをしています。下記写真のようにピンクのベストを着て、プラカードとゴミ袋を持ってゴミ集めをしています。活動をはじめた当初は、集めてもゴミは減らず、朝から晩までゴミの山を処理し続けていました。花見客からゴミを投げ捨てられたことさえあって、その活動は困難の連続でした。今ではその当時の事が夢のように、ゴミ一つ落ちていない風景があたりまえ、静かに緑道を散策するスタイルが根づいています。これも忍耐強くさくら美守り隊さんがゴミを集めてきた努力の賜物です。最近は各地の花見会場でも「自分のゴミは持ち帰る」が浸透するようになっていますが、その先駆けも彼女たちの影響でしょう。

彼女たちの活動を陰ながら協力していた人の中に、実は桜を植えた新堀さんがいます。彼は退職後も千代田区内の企業でグリーンアドバイザーとして働きながら、桜の頃になると「花さかじいさん」と称して桜ガイドをしていました。このような新堀氏の活動を理解し、彼を支えた人がいます。その人は神田で起業した3代目の社長です。 

 千代田区には創立100年以上の会社が多くあります。その人たちは神田明神や日枝神社の氏子たちでもあり、家族ぐるみの経営者が沢山いるのです。住まいも仕事もこの町で過ごしている人たちが、桜を支援してくれています。

「さくら美守り隊」の活動は、ゴミ問題を見事に乗り越え、地域の人々の心を繋ぎ、今年で結成20年を向えます。

 しかし、桜もこのボランティアも老齢化し、新たな課題として、観光客の国際化による多言語対応です。このボランティアにも新しい風が求められているといえます。

募金を集めている様子、若者も募金中
さくら美守り隊、ゴミ拾いの様子

「区の花 さくら再生計画」のはじまり

 2000年頃になると、桜の名所を追っかける花の旅人「花追い人」が増えていきました。その中でも、山にひっそり咲く一本の古木を探して撮影するのが流行っていました。古びた桜が各地で、アマチアカメラマンによって発掘され、注目されるようになっていった時代でした。そのような桜人気のさなかに「染井吉野寿命60年説」が流布されていて、それは染井吉野の寿命が50年ないし60年とする説です。桜の名所を抱える自治体や地域でさくらを愛する人々を不安がらせ、その影響でしょか、日本各地に桜を守ろうとするボランティア「桜守」やNPO桜守が設立されています。

 今では多数の樹木医が「染井吉野寿命60年説」に科学的な根拠のないもので、染井吉野の生育のピークは植栽後30~40年で、それを過ぎると老齢化に伴って様々な傷害が生じていくのだといいます。それは人間の寿命と同様に管理次第で変わります。桜は人の世話次第で、その寿命が大きく左右されるわけです。

 千鳥ヶ淵の桜は、1979年に緑道が誕生し、にその緑道がバリアーフリーになって、再整備されましたが、周囲の高層ビル化で、太陽を好む桜にとって日照不足は生育に影響します。高層ビルとビルの間から強風が吹き、温暖化等の影響を大きく受けています。既に衰退時期に入っている木々が多く、行政も区民関係者も、桜の景観維持に関して気を抜くわけにはいかない状態です。

そこで行政は2003年に区民と共に、桜の管理に関する「区の花さくら協議会」を結成して、樹木医と共に10か所の桜を調査し、育成管理の対策や将来像など、さくら再生計画の骨組みをつくりました。これが2004年に発足した「区の花さくら 再生計画」です。

 当初は5か年計画でしたが、それが現在も継続できるのは、行政と区民一帯の活動だからです。当初から資金面では区が5,000万円を出資し、公益信託に1,000万円を、信託貯金に4,000万円を、公益信託制度を利用して運営しています。行政もボランティア団体も、桜の時期は積極的に寄付を呼びかけ、地元企業も区民も協力して活動資金を集めています。

 東京の中でも一流企業の本社ビルがあり、学校や大学も多いので寄付は集まりやすいのですが、植栽された桜が6000本もあると言われており、莫大な費用と人手を要します。都心の人通り多い場所なので、その手入れにも工夫を要します。

 2016(平成28)年に新堀さんが病気で逝ってしまって、桜の由来を伝える人の不在は、今後のさくら再生計画に影響を及ぼすと不安になりました。そこで、新堀氏から聞いた話をまとめ、桜の由来と景観維持のための活動を伝えるための小冊子『千鳥ヶ淵のさくらたち』を発行することにしました。

さくら美守り隊が募金を募る様子
2019年度、テント前でさくら美守り隊が募金を募る様子
by
関連記事