さくら・桜
サクラの語源
「サクラ」という名前の由来は、花が密生して咲いている様子「咲く」に複数を表わす「ら」を加えたものとか、春の稲(さ)の神が降り立つ木(座=くら)だからサクラであるとも、古代の女神、木花之開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が」種を蒔いて咲いたので、その名にちなんで「さくや=桜」になったとも書かれています。
植物としてのサクラ
サクラはバラ科サクラ亜科サクラ属に属する樹木の総称です。春を象徴する花になっていますが、サクラは秋咲きもあれば冬咲もあります。日本列島は縦に長く、山に囲まれた島で、本州の沿岸部に春がきても山がまだ雪で閉ざされている地域もあり、サクラは7月と8月を除いて、日本のどこかで咲いています。
しかし、実際は春になると人々の話題になるほど、春のシンボルとなっています。
そして、海外に行けば日本のシンボルツリーとして代表的な花ですが、その割に私たちはサクラのことを知りません。
日本でサクラの分類には数通りの説があります。私は9種類の野生種と200種類以上の園芸品種にわかれると思います。現在、私たちが一番普通に見ることのできる、ソメイヨシノも江戸時代の終りころに作出された園芸品種の一つです。サクラの品種改良の歴史は古く、室町時代の代表的な品種に、八重咲のフゲンゾウ(普賢象)があります。このサクラは2本長く突き出ている葉化された雄しべが特徴です。それを普賢菩薩の乗る象のようだということで「普賢象」とい名前がつきました。その他に京都府京都市の仁和寺(御室御所)で栽培されたオムロアリアケ(御室有明)は、半分八重咲のサクラです。
サクラには歴史も深く由来がはっきりしているものが多くある中、ソメイヨシノしか知られていないのは残念です。
日本人にとってのサクラ
サクラにはその土地のシンボルともいえるサクラがあって、それを囲んでコミュニティーが形成されていました。民俗学では、その地域のサクラは人々の田植えの時期を知らせる指標植物と言われています。今では各県の農業試験場が田植えの時期を知らせますが、かつて田植はその土地の気候で地域の人々の共同作業として行われていました。だからその前に、春の喜びと農作業の団結のために、サクラを囲んだ交流は不可欠だったことでしょう。
現代になっても、また都市生活者であっても、同じ社会やコミニュティーで花見を楽しむ習慣は残っています。花を理由とした交流会は、人と人の輪を結ぶ手段としてもちいられており、この点がほかの花とは異なり、サクラが植物であるだけでなく、人と人を結びつける花となり、人と深く関わる存在になっています。
サクラの開花
日本で一番早い開花は沖縄県ですが、その中でも一番寒い北部の山の上からサクラは咲きだします。最後に咲くのは一番暖かい南部で終えます。沖縄で開花するのは、リュウキュウヒザクラ(琉球緋桜)という品種で、濃紅色の花です。
本州ではカンヒサクラ(寒緋桜)が12月頃開花し、ついでカンザクラ(寒桜)やオオカンザクラ(大寒桜)開花してからソメイヨシノが開花します。遅いものでは菊咲きのキクザクラ(菊桜)や花の塩漬けとしてもちいられるカンザン(関山)などが4月中旬頃に開花します。
秋に咲きだす桜のジュウガツザクラ(十月桜)は9月中旬から開花し1か月以上は咲いています。その後、冬桜が開花すると本州でも9月から5月まではサクラはどこかで咲いています。
北海道では濃紅色の花のオオヤマザカウラ(大山桜)が5月頃から開花しますが、標高の高い山では6月頃に開花します。
このように桜の開花だけでも日本列島の長さを感じますが、同じ種類のサクラが咲いているわけではありません。 天気予報でサクラが南から開花している様子が報道されていましたが、今では気象庁によるサクラの開花宣言も無くなりました。
花について
花びら
花びらは五枚が基本です。 10数枚の「半八重咲き」や15枚以上の「八重咲き」から100枚以上の「菊咲き」など、品種によりさまざまです。能登半島には、その地域だけ花びらの多いサクラが咲くことで知られております。
花の色
花の色は白、薄紅色や濃紅色から黄緑色、紫、緑など多色です。江戸時代では荒川堤には五色のサクラで有名でした。それは多色のサクラが咲いているという意味です。そこで発見されて今でも大切にされているサクラにウコン(鬱金)という名のサクラがあります。黄緑色のしょうが科のウコンに似た色の花で、ソメイヨシノが散って葉をつける頃に開花します。同じころ緑色花のギョイコウ(御衣黄)が咲きだしますが、それらがサクラだと気づく人はほとんどいません。
花の大きさ
小さな花はオカメでこの花の名前に漢字表記ができません。なぜならこの花は、英国人イングラム氏が栽培したもので、花径が1,2cm位の小さく濃紅色の一重の花を咲かせます。
大きい花ではタイハク(太白)があります。この花は日本で一時絶滅していました。昭和になって英国人イングラム氏から接ぎ木で分けてもらって復活した品種です。タイハク(太白)は花径が3cm位の白い大きな一重の花を咲かせます。
花のサイズは、色も形も様々ですが、かつて日本で絶滅した品種があって、それを救ったのが英国人のサクラ愛好家イングラム氏でした。イングラム氏は来日したおり、現状では品種絶滅の恐れがあることを警告していました。
サクラの枝
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺をよく聞きます。これはウメの木は抗菌作用が強く切っても痛みませんが、サクラの木は抗菌作用が弱く、切った枝の切り口から腐敗しやすいため、サクラは切ったら手当てすることが重要という意味です。ところがこの諺を言う人は「サクラを切ってはいけない」という意味に解釈していることが多いようです。
行政では桜並木のサクラの手入れを12月~2月頃しています。枝は道路標識を隠して、事故の原因になる場合簿あります。
サクラの中には長寿のものもあります。日本三大桜はいずれも樹齢千年を超えると言われています。長寿のサクラの共通点は、品種がヒガンサクラで、実から発芽したサクラです。
これらのサクラは自然淘汰して生き抜いてきましたが、これらは人に注目を浴び、枯れることを許されない存在になってしまいました。長寿のサクラについては、過剰なまでの管理で生かされ続ける状態を嘆きたいです。こうしたサクラは地域の経済を支える稼ぎ頭であり、寿命がこようとも環境が悪くなっても、不老不死を求められています。
三春滝桜
(みはるたきざくら)
福島県田村郡三春町
樹齢1000年以上のベシダレザクラ(紅枝垂桜
淡墨桜
(うすずみざくら)
岐阜県本巣市
樹齢1500年以上のエドヒガンザクラ
神代桜
(じんだいざくら)
山梨県北杜市武川町
樹齢2000年ともいわれるエドヒガンザクラ
さくらの用途
景観として
戦後の日本では、街路樹や河川敷の並木、公園・庭園の点景樹として利用されていましたが、現代では他の木々が用いられています。 かつてソメイヨシノは成長が早いので景観を作りやすく喜ばれましたが、今では逆に成長が早く、公害に弱いサクラは街路樹には不向きと判断されるようになったからです。
食用として
実:桜を2種類に分けると「花のサクラ」と「実のサクラ」に分けられます。日本には「実のサクラ」はありませんでした。明治以降にアメリカやドイツから政府によって輸入されました。日本全国に植樹したのですが、うまく植樹できた土地が山形県でした。それ以来、山形県はサクランボの産地となりました。
サクランボの品種には、佐藤錦やナポレオンが有名ですが、アメリカでは近頃日本の佐藤錦が栽培されており、国産の佐藤錦より一回り大型のアメリカ産佐藤錦が逆輸入され日本で販売されるようになりました。
花(花弁):花の塩漬けは、香りが良く、湯に入れると茶碗の中で花びらが開くことか祝い事に使われていますが、関西では「花が散る」と言って祝い事に使われないそうです。桜花の塩漬けは、塩と梅酢で漬け込んでおり、正確には「桜花の梅酢漬け」といえましょう。この産地は神奈川県秦野市で、隣の小田原市は梅酢の産地なので、その土地にあった加工食品が誕生したのも風土によると思います。
葉:さくら餅の葉は、食用に栽培されています。サクラの品種は、オオシマサクラという白い花を咲かせる品種で、伊豆の大島が発祥とされています。これは塩に強く、いい香りを出します。
木:そのものを食用にはしませんが、ハムをはじめとする燻製をつくる際に、木片を焚きあげ食品に香りを移すスモークチップして用いられます。
家具、用具として
木自体は材木として使われます。家具や彫刻、版木に用いられるほか、桜の樹皮を利用した、小物入れや茶筒などの細工物にも利用されます。縄文時代には呪術的な道具としてサクラの皮が使われていた痕跡が発見されています。