桜商品の製造販売は、桜の保全活動と共に!
はじまりは桜の啓発活動から
私が「桜の食品」を独自で開発するようになったのは、公益法人日本さくらの会が、その頃「さくら研究会」を開催していた頃にさかのぼります。当時の財団法人さくらの会は機関紙『櫻の科学』も発行していて、私は『櫻の科学9』2002年11月4日号に「跡見学園女子大学の桜」と題した研究文を記載していただきました。
「さくら研究会」2003年2月に多摩森林科学園で開かれ、私は母校で桜の啓発活動について発表したら、共感を持つ人達に励まされました。参加者には研究者や行政の立場で活動している人などの他に、熱心な桜愛好家が集っていました。
中でも驚いた点は、戦後から復興にかけて植栽された桜が樹齢50年頃になっていて、全国的に桜の寿命と保全の重要性が課題になっていても、自治体は予算不足などの理由から放置している状況でした。
千代田区役所との出会い
「さくら研究会」の直後、その研究会に参加しておられた千代田区役所勤務の中木氏から、千代田区で開催される「さくらシンポジューム」での講演依頼をいただきました。当時千代田区では、区内の桜3,000本の健康状態が懸念されており、桜の健康調査をしたら大部分が病気でした。そして、桜に特化したプロジェクト「区の花さくら再生計画」が立ち上がった時でした。これは当初5か年計画でしたが、現在も継続されています。
千代田区で「さくらサポーター」となる。千代田区ブランド「千鳥ヶ淵のさくら染ハンカチ」を制作
私が千代田区役所で、「区の花さくら再生事業」の中に一般人でも桜に関われるもので「さくらサポーター活動」がありました。千代田区の道路公園課の職員だった中木さんから「区民の皆様に桜の楽しさを伝えて欲しい」と言われ「さくらサポーター」になり、助成金の一部をいただきながら、桜を用いた桜染色、桜料理、桜工芸などの体験教室を20年開きました。
この活動は、後に桜の剪定した枝を用いて染色したお土産品「千鳥ヶ淵のさくら染ハンカチ」という商品になりました。
さくらサポーターとして、もう一つ気づいたことは、皇居の周辺には植栽も豊で、今でも歴史を足跡が多い区なのに、千鳥ヶ淵に桜が植栽された由来を語る印刷物がありませんでした。それを残念に思って冊子『千鳥ヶ淵のさくらたち』と『千鳥ヶ淵のさくらたち 其二』を発行しさくら祭りの会場で販売していただいています。
さくら食品の販売開始
私が「桜の食品」を独自で開発するようになった経緯は、「さくらサポーター」になったばかりの頃「桜が病気になる」とか「寿命で枯れる」と語ると、参加者には驚かれました。そこで、まず、桜が植物だと再認識していただき、美しい桜景観は管理なしには保たれないことを伝えたいから、年1回しか咲かない桜を身近に感じて欲しくて「桜食品の製造」と「その楽しい食べ方」を伝えています。
私は当初 桜の保全の重要性を語る手段として製造しました。しかし、世界的に気候変動、日本では台風被害も大きく、各地で倒木による被害で死亡事故もありました。桜に限らず、樹木は町の景観美や環境維持にも、人々の心に潤いも与えてくれていることも知って欲しいのです。
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